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活動報告
第16回総会 特別講演
「デジタルビジネスの発展から考える情報通信ネットワークと無線LANの未来」(上)

無線LANビジネス推進連絡会の「第16回総会」で行われた、早稲田大学研究戦略センター教授の稲田修一様の記念講演「デジタルビジネスの発展から考える情報通信ネットワークと無線LANの未来」を、上・下に分けて、紹介します。

1.イノベーションの変化と未来社会の予測

今日は「イノベーション」の話をします。イノベーションにどのような変化が起こっているか、未来社会からのバックキャスティングによる価値創出手法、それからビジネスのデジタル化に伴って必要となるネットワーク機能、これを「ユースケースワーク」から明らかにします。また、そこからどのような情報通信ネットワークが必要になるのか、その中でローカルネットワークや無線LANがどのように使われるのか、そして、それを実現するために何をすべきなのかについてお話しします。

 まず、私からの質問ですが、ユースケースワークをやったことがある方は何人くらいおられますか? 挙手をお願いします。

(誰も挙手せず)

日本では、ユースケースワークはポピュラーではないんですよね。でも、最近は国際標準化機関でもユースケースワークを取り入れています。もちろん、外国企業では当たり前にやっています。

残念ながら、今日参加されている方々は体験されたことがないようなので、今日は、ユースケースワークってどんなことをするのかについても、話したいと思います。

私は東大にいた時に、「価値創出」に関する研究を始めました。価値創出に必要なものはアイデアです。ボトルネックとなっている領域では潜在的な顧客ニーズが強く、大きな価値創出が可能な場合が多いことから、新しいアイデアが求められます。私はIoT関係の取材でいろいろなユーザの声を聞いていますが、彼らの潜在ニーズを考えると、無線LANを含むネットワークには大きなボトルネックがあります。それはベストエフォート型のネットワークでは、自動運転などギャランティが必要なシステムには十分な対応ができないという事実です。

インターネットが飛躍的に発展・普及した結果、ネットワーク分野では「ベストエフォート」が基本になってしまったのですが、安全性や高い信頼性が求められる領域ではベストエフォートは不適です。IoTとかAIの活用を考えると、このような領域は沢山あります。例えば、自動運転では重要な情報を迅速かつ正確に伝えないと、これが故障や事故につながり、場合によっては人の生命にかかわる事象を引き起こす可能性があります。あるいは工場の機械制御が的確に行われないと、不良品や不用品を大量に生産する、あるいは工場の稼働率が大幅に低下するなどの事象が発生し、大きな損失を招く可能性があります。

IoTやAI活用を考えると、ネットワークには品質保証という概念が求められるのです。ところが、今のネットワークではそのような概念に沿った機能が十分ではないのです。また、IoT活用で実現される自動化などに必要な機能も十分ではありません。だからこそ、イノベーションが必要なのです。

最近、イノベーションのパターンが大きく変化しています。あと数日すると「令和」の時代になり、昭和は二世代前の時代になるのですが、日本人はその二世代前の昭和時代の成功体験に強くこだわり、これをなかなかやめることができません。アメリカ人の友人に、「まだFAXの番号を使っているのは日本くらいだ」と言われ気付いたのですが、たしかに名刺にFAXの番号を記載している人は海外では稀です。でも、日本ではFAX番号はまだ現役です。それで、昔を象徴する事例として、ファクシミリを持ってきたのです。

ファクシミリの高度化で重要だったのは、より優れた画像符号化技術の開発です。これを日本主導で開発したので、日本はG3ファクシミリの市場を席捲しました。この時代は何がポイントだったかというと、まず開発の方向が分かっていたのです。きれいな画像をより速く送るために効率的な符号化方式が必要なので、その技術を開発すればいいということが分かっていた。で、一生懸命にそれを開発し、標準化に成功したのです。まさに、方向性が決まっているものをどのように開発するのかという「How」が重要だったのです。でも、今の時代のイノベーションの主流はこれではありません。

現在は、供給サイド主体から需要サイド主体のイノベーションに変わっていて、かつ「優れた技術」だけではなくて、「技術の組み合わせ」「デザイン」「ユーザ体験」「使い勝手」「アクセスビリティ」など、いろいろな要素がイノベーションに関わっています。そして、それが本当にユーザにとって魅力的かどうかが重要になっています。

Howではなく、まさに何を開発するかという「What」が重要な時代に変わったのです。このように、イノベーションのパターンが大きく変化したことをベースに、イノベーションの手法を考えなければいけないのです。

需要サイド主体のイノベーションに適したやり方が、デザイン思考といわれる手法です。まず、課題を発見し、課題解決に結び付くアイデアを洗い出し、それを「ユースケース」という具体的な形に落とし込む。その上で、想定した価値創出が可能かどうかを実証し、実証されたと判断したら展開するのです。その一環として「PoC (Proof of Concept:概念実証)」があるのです。単に面白いアイデアがあるからPoCで検証するのではなく、このようなイノベーションプロセスの一環としてPoCを使うのです。ここの所を間違うと、あまり意味のないPoCを実施する罠にはまってしまいます。

デザイン思考的な新しい価値創出手法の一つとして、最近、徐々に広がっている手法があります。「未来社会からのバックキャスティング」と呼ばれる手法です。まず人や社会にとって望ましい未来社会の姿を考え、それを実現するための課題を見つけ、その課題を解決するためのアイデアを創出し、アイデアを実現するために必要な技術・人材などのリソースやビジネスの仕組みを考えるものです。

 

これは、役人にとってはなじみのある手法です。通産省を始めとする役所は、結構昔からこの手法を使っていました。10年後の産業や地域の姿を描き、その実現のために何をやったらいいかという政策を割り出し、それを実施するための法律をつくって、未来の姿の具体化に挑戦するということをやっていたのです。

もちろん民間企業も10年後の姿を描いてもかまいませんが、ビジネスの世界では3年から5年後ぐらい後に社会がどう変わっているかを描く方が現実的なビジネスにつながりやすいように感じます。その一環として「ユースケースワーク」をやることが効果的だと考えています。

もちろんユースケースワークだけにとどまらず、それを実証するPoCをやったり、場合によってはお客様と協働で開発に取り組むことも有効です。技術を起点としたイノベーションに代わり、今の時代では、このような手法がイノベーション促進に用いられるようになっています。

 

2.ビジネスのデジタル化に伴い必要となるネットワーク機能

最近、建設業界では、建設現場の未来の姿を描くことがはやっています。資料に示すのは、2018年に戸田建設が5年後である2023年の建設現場の姿を描いたものです。一番上に飛んでいるのは、準天頂衛星でしょう。準天頂衛星とサブGHz帯の電波を活用し位置決めが正確にできるようになるので、建設ロボットを活用し資材の運搬や鉄骨の組立などの自動化が可能になります。左側に人工知能がありますが、収集したデータを分析し作業ノウハウとして蓄積すると同時にその改善を行います。施工管理の情報収集には、ドローンを使っています。

建設業界の課題は人手不足への対応、それから建設工事の品質管理が十分ではないことです。建設工事のトレーサビリティを確認するためのデータを自動収集する仕組みもまだ十分ではありません。このような課題を解決する姿を描いているのです。

このような将来の建設現場の姿を、現実のものにする取り組みも広がっています。この資料は、清水建設の「シミズスマートサイト」という建設現場の省人化・労働環境の改善のための仕組みを紹介したものです。自律型ロボットで工事を自動化し、それをコンピュータ上で管理しようというものです。係員がiPadから作業指示を登録すると、「ロボ・マスター」と呼ばれる統合管理システムから自律型ロボットに動作指令が出されます。ロボットによる現場での施工状況は逐次センシングされロボ・マスターに入力され、係員は作業の進捗状況をリアルタイムにモニターできます。

「天井施工ロボット」や「溶接ロボット」が行う作業は、人がいやがる作業だそうです。建設業界にいる私の友人によると、人がきついと感じる作業を自動化しないと、若者が建設業界に来なくなるのだそうです。また、トンネル工事のように劣悪な環境下で危険を伴う仕事も敬遠されるので、遠隔からの自動操縦技術の開発に熱が入っているのだそうです。

さて、本題のユースケースワークの説明に移ります。今まで述べた建設現場のデジタル化に必要なネットワーク機能について、私の方で分析したものを示します。まず、建設現場のデジタル化の際にネットワークを使う作業をリストアップし、ネットワークでどのようなデータをやりとりするかについて考えてみました。そして、そのようなデータをやりとりするためにネットワークに求められる要件を考えてみました。やりとりされるデータの細かな技術要件は、PoCにより実証して確認することになります。

未来の建設現場では、建設機械の自動運転や稼働管理が必要になります。測量の省人化・自動化も進みます。BIMとかCIMなどの情報システムと建設工事の連動も必要です。バーチャルリアリティを活用した施工管理の効率化も取り入れられるでしょう。制御データや位置データ、測量結果などの点群データなど、さまざまなデータが飛び交います。ドローンによる施工管理では、多くの画像データが飛び交います。

それらのデータがネットワークに求める要件を考えると、例えばロボットと人が一緒に働く環境ではロボットの動作は人の安全性に関係するので、その制御信号に遅延が生ずるのはまずいでしょう。それで、超低遅延という要件が出てきます。また、建設現場でたくさんのロボットやドローンが活用されることを考えると、当然ながらネットワークに接続されるデバイスの数は膨大なものになります。そうすると多数同時接続という要件が必要になります。バーチャルリアリティとかBIM/CIMなどのデータを考えると、これは情報量が極めて多いので、超高速ネットワークでないと処理できません。また、サイバーセキュリティ上も頑強で、安全・信頼性が高いネットワークを要求するデータも存在します。

もちろんどれぐらいの遅延時間が許されるのか、どれぐらいの数を同時処理しなければならないのか、どれぐらい高速かなどの詳細な技術要件は、実証実験の結果を踏まえて決めることになりますが、このようなユースケースワークによって将来のネットワークに必要な要件がある程度導き出せるのです。

製造業でも、スイッチング電源大手のコーセルの「スマートファクトリー」やボイラー大手の三浦工業のオンラインメンテナンスなどを参考に私の方でユースケースワークを行い、ネットワークに求められる機能を分析したものを示しますので、参考にしてください。

 

ちなみに、コーセルは生産システム革新による製造費用低減のため「フレキシブルな人と設備の共存ライン」というコンセプトのもと2014年からスマートファクトリー化の検討を開始し、2018年にこの成果を発表しています。

一方、三浦工業はボイラーのオンラインメンテナンスを30年間やっているIoTの老舗です。収集したデータからボイラーの故障時期や適切なメンテナンス時期を予測し、故障する前にメンテナンスを実施しています。故障予測精度の向上と計画メンテナンスの実施により故障修理の緊急対応が激減し、メンテナンス要員の離職率も低減したとのことなので、働き方改革でも先進企業です。

繰り返しになりますが、このようなユースケースワークを行うと、現在のネットワークでは機能的に不足している点が結構あることが分かります。

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