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インタビュー
「能登半島地震コネクトマップ」に取り組む

「コード・フォー・カナザワ」を訪ねて

 

 

 

一般社団法人コード・フォー・カナザワ
代表理事 福島 健一郎 氏

 

「市民(Civic)」と「テクノロジー(Technology)」をかけ合わせ社会課題に取り組んでいく……一般社団法人「コード・フォー・カナザワ(Code for Kanazawa))が提供した「能登半島地震コネクトマップ」は、まさしくその「シビックテック(CivicTech)」を活用したものでした。

「能登半島地震コネクトマップ」の使い方はいたってシンプル。市民が、被災地のインターネットがつながった場所で画面を開き「ここつながる(Connect)」ボタンを押して登録します。その情報の蓄積で「その日、その時間は。そこでネットがつながっていた」という事実を集計し可視化していくのです。

 

 

 

インターネット接続環境が改善された今、新たなデータ登録は停止されていますが、それまでの約1ヶ月間「どこで通信がつながるか」という生きた情報は被災地の人々によって常にアップデートされ続け、人々の大きな助けとなりました。

このマップの開発を主導し、提供したのはコード・フォー・カナザワの代表理事 福島健一郎氏です。このサービスはどのような経緯で、なぜ作られたのか、お話を伺ってきました。

コード・フォー・カナザワとは

–まずはコード・フォー・カナザワがどのような団体か、お話いただけますか。

福島 コード・フォー・カナザワは2013年5月に設立されたシビックテックのコミュニティです。ITを使って、自分たち市民が中心になって、自分たちの地域課題、社会課題を解決していきたい、より良くしていきたいと活動を始めた団体です。最初は9人で始まったのですが、カフェのオーナーやデザイナーと、メンバーの構成は多様でしたね。現在はメンバーも増えて、プロジェクト単位で活動しています。

–シビックテックのコミュニティというとやや耳慣れない印象なのですが、どのような経緯で結成されたのでしょうか。

福島 そうですね。当時、シビックテックという言葉自体がまだ馴染みのないものでした。今でこそ「コード・フォー・ジャパン」が知られて、さまざまな「コード・フォー」と名の付く団体がありますが、実は日本では我々が最初なんです。
まず参考にしたのは、先だってアメリカにあったNPO団体「コード・フォー・アメリカ」でした。同じように、我々も行政と協働する力になりたいという思いで集まりました。

能登半島地震コネクトマップ開発のきっかけ

–「能登半島地震コネクトマップ」の開発はもともとプロジェクトとしてあったのでしょうか。

福島 いいえ、ありませんでした。あの元旦の地震のあとに発足したんですが、私たちも被災者だったので、数日の間はみんなそれぞれが、やらなくちゃいけないことに必死で……、3日くらいになってようやくですね。メンバーとやりとりを始めたのですが、そんな中で「何かやれることをやろう」と。何をやるかも決まっていませんでした。とりあえず何かしなくては、とそう思っていました。

体感した「情報を受発信する困難さ」

–あらゆるものが不足する震災後の状況で、今回、通信にフォーカスしたサービスが生まれました。その理由は何だったのでしょうか。

福島 おっしゃる通り、とにかく被災後は何もかもが足りず、そして手が回りませんでした。「モノが手に入らない」こともそうですが、それ以上に情報取得が難しいという状況でした。情報さえあれば何かやりようがあったのでは、とも思いますが、どこに物資が足りないか、どういった被害が出ているかなどの分かるはず(知りたい)状況が、住民も含めて全容が分からない状況が続きました。
さまざまな要素について「誰も詳しいことを知らない」ということが多々ありました。情報を見聞きした人が、口頭で聞き仕入れた情報を、避難所のリーダーが周知するというような、ある意味原始的なリレーでしか情報が得られないこともありました。
困難な状況の中で、情報があるとないとでは、助け方、助かり方に明確な違いが生まれてしまいます。しかしその情報はこうした災害時は自由に得られないことを痛感しました。
震災後、避難所が600箇所以上できていたと聞きましたが、それがわかったのも6日、7日と経ってようやくなんです。誰も避難所がどこにどれだけあるのかも知らない状態で、自衛隊の皆さんが一つ一つまわって確かめてくださいました。

–テレビで流れていた情報はほんの一角ということですね。

福島 テレビの全国ニュースでも「全容はいまだ分かりません」と何度も報じられていましたが、まさにそうだったのだと思います。本当に必要な細部の情報は残念ながらテレビでは流れません。誰も情報を集められないし、伝えられなかった。そんな中せめて受発信、通信がどこでできて、できないかが知られる仕組みがあれば、と思いました。
当時、通信ができた場所もできなくなったり、逆にできなかった場所でいつの間にかできるようになったり、という状況の変化に戸惑うことがあったのです。
もし「今どこがインターネットにつながるか」とか、そういったところをみんなの力で明らかにできたら便利だよね、という話をして、コネクトマップの制作が決まりました。

–数時間で作り上げたという記事を読みました。

福島 実際に正式リリースされたのは7日だったんですが、そうですね。数時間というのは、作りはじめてから完成までの時間だと思います。
とにかく場所もないので、6日の日に石川県庁のロビーでメンバーと会って話をしました。そこで、先ほどの情報について私の思いを伝えてプロトタイプを見せました。この時代、情報の発信や受信ができないというのはかなり大変で、命取りになりうるということを話しました。
じゃあつながる場所がわかるようなやつを……と、そういうのをやろうとみんなが賛同してくれまして。出たアイディアを形にするまでの時間は確かにあっという間でしたね。そのように速度を優先しノーコードツールで作ったので、細かい部分で「もっとこうであれば」というところを改善していきたいと思います。

–通信がつながる場所が、多くの人の手でリアルタイムに集計されていくというのは、とても実用的で、発想も面白く非常に感銘を受けました。こういったサービスは知ってもらわなければ使ってもらえませんが、広めるために工夫したことはありますか。

福島 私たちだけでなく、これこそシビックテックという感じで、こちらからお願いしなくても誰かがさらに良くしてくれる流れができていたのが良かったと思います。
例えば、このコネクトマップを実際に使う動画を撮って、それをシェアすることで広めてくれた方もいました。操作方法のわかりやすいイラストを提供してくれた方もいます。
SNSをはじめ、記事取材だったり、動画取材だったりと声をかけてくれて。「こういった活動があるよ」とたくさんの人が拡散してくれました。オープンソースなので、別の災害が起こってしまった際にそのままこの仕組みを役立てることもできますし、絶えず人々の手を通してより便利に形を変えていけることは良い点だと思っています。

コード・フォー・カナザワの原動力

–非営利でありながら、精力的に活動されている原動力とは何なのでしょうか。

福島 例えば、現実的な話、3ヶ月がたった今、あの地震のことは皆さんの頭に当初ほど大きく残っていないと思います。
東日本大震災で被災された方がFacebookで助言してくれたことを覚えています。今日本中が助けてくれている間に助けてもらい、自立できるようにしておかないと、いずれ忘れられたときに大変だよ、と。
これはしかたのないことではあるんですが……。震災から時間が経っても助けてくれる方もいるけど、誰もが、常に考えてはいられません。
だから、ある意味自分たちの地域は、最後は自分たちで守っていくほかは無いとも言えます。そしてシンプルに、自分たちの土地のことは自分たちで本気でやろうという考え方は、とてもいいなと思っています。
私にとってそれはシビックテックをやる原動力のひとつです。そしてもうひとつの原動力は、メンバーとこれを楽しんでやれている、楽しいという気持ちですね。

–今回、コード・フォー・カナザワの活動について、もっとこの取り組みを日本中に知っていただきたく、僭越ではございますがWi-Bizとして表彰させていただく運びとなりました。同時にメルマガなどを通して発信させていただきたいと思っています。これを読んでいる読者へメッセージをお願いします。

福島 地震は明日起こるかもしれないし、今、ここで起こるかもしれない。地震が起こってから何かを考える余裕はありません。だからこそ少しでも備えて欲しいです。備えてもうまく行かないことが多いです。ですが、準備していないことは何もできません。
そして、シビックテックを始め、みんなで情報をつくる、組み上げていく、そうやって地域の安全性や利便性というのは高めていけるものだと知って欲しいですね。そしてこういったメリットがわかる人は、そのメリットを周囲に説明して欲しいと思います。

現地でのボランティアを通じて

巨大な震災に見舞われた2024年1月1日からおよそ4ヶ月、今回この取材の前に、筆者はボランティアへ参加し、改めて震災後の石川県の様子を眺めてきました。
意外にも旅行客で賑わう駅に驚き、人の強さに感じ入る一方、そこから数十分離れれば、爪跡は色濃く、まだ震災の気配は少しも薄れてはいませんでした。
建物は倒壊したまま、道路はひび割れ歪んだまま――復興は道半ばでさえなく、まだ入り口に過ぎないと感じさせられる、そんな景色が拡がっていたのです。

今回ボランティアに訪れた穴水町も、復興にはまだ果てしない道のりを残していました。ボランティアセンターから車で25分、災害ゴミの片づけをしながら痛感したのは、まず何をするにもパワーが足りないということでした。
ボランティアを求める多くの声はお年寄りのものです。この地には、倒れたタンスを持ち上げる力が、塞がれた入り口を抉じ開ける力が、その他あらゆる場面で必要な力と、それが出来る人間の数が圧倒的に不足していました。

福島氏の「時が経てば記憶は薄れてしまう」という話が頭を過ぎりました。このメルマガを通じ、今この地には、充分なWi-Fiはもちろん、支援の力も、人手も、全く足りていないことを、この場所を借りて、広く皆さんに知ってもらいたいと思います。

なお、「ワイヤレスジャパン 2024」にて、コード・フォー・カナザワの表彰式を実施させていただきます。当日は福島氏のお話も聴講いただけます。また、Wi-Bizも出展しておりますので、ぜひ東京ビッグサイトまで足をお運びください。

「ワイヤレスジャパン 2024」
■日時 5月29日(水) 16:20-16:50
■会場 東京ビッグサイト 西3・4ホール
https://www8.ric.co.jp/expo/wj/


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