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「ネットワークの中立性」を巡る米国動向と日本の状況

一般社団法人日本インターネットプロバイダー協会 副会長兼専務理事 立石 聡明

2016年、まさかの「America First」。日本にとって重大な問題である安全保障や貿易などについてはマスコミで報道された。しかし、貿易に大きく関わるTPP※1については、殆ど語られなくなってしまった。

また、今やインフラとなったインターネットについての影響を報道するマスコミも殆どないのではないか。

日本ではあまりなじみのない「ネットワークの中立性」という言葉だが、米国ではこれに対する政府やFCCの対応が変化するのではないかという予測が、大統領選の頃からあちこちで語られていた。

オバマ政権時代にFCCが宣言した「オープンインターネットルール」が変更されるのは必至であった。ただ、問題は実質的にどの程度の影響が出るか、である。そもそもオバマ前大統領が支持した「オープンインターネットルール」でも、中立性を侵害するかどうかはケースバイケースで、他の国のように明確な基準で違反するかどうかを判断されていなかった。
また、オバマ前大統領もアメリカ経済にとって有益であると述べているものの、表現の自由や民主主義との関連については言及していなかった。

「ネットワークの中立性」とは

ここで簡単に経緯を説明しておくと、そもそも「ネットワークの中立性」という言葉は、Tim Woo氏が、2003年に発表した論文“Network Neutrality, Broadband Discrimination”で著したことがその始まりだと言われている。
要するに、ISP等のインターネット接続事業者はコンテンツについて差別的取扱いをしてはならない。全てのパケットを同等に扱うべき、またそれによって表現の自由等も守るべきといった内容である。

「ネットワークの中立性」という言葉の明確な定義もされていなかったが、昨年The Merriam-WebsterがNetwork Neutralityを定義した。それによるとネットワークの中立性は以下のように定義されている。
“the idea, principle, or requirement that Internet service providers should or must treat all Internet data as the same regardless of its kind, source, or destination.”

2014年11月にオバマ大統領がネットワークの中立性に関して、「オープンインターネット」に関するアナウンスを行い、これに沿った内容で2015年2月にFCCが「オープンインタールール」を決議した。
原則は、No Blocking(遮断しない)、No throttling(絞らない)、No Paid Prioritization(優先しない)であり、これらの原則を守ることがアメリカの経済もインターネットユーザーも守ることになるということであった。

遂にFCCが「ネットワークの中立性」を破棄

政権が交代することからFCCの委員長が交代することは予め分かっていたことであった。よって従来から中立性に反対しているAjit Pai氏に交代したことも不思議ではなかった。そして、就任後、今後大きな変更がされる可能性があるというアナウンスはあったが、しばらくは特に顕著な変化も宣言もなかった。
しかし2017年12月14日にこの「オープンインターネットルール」を破棄する旨のアナウンスがなされた(これによって、先のThe Merriam-Webster社も定義を変更する可能性を示唆している)。

オバマ時代の「オープンインターネットルール」は、仮説に基づいた害でしかなく歴史的に不吉な予言を行っていたに過ぎない、と言って前政権の方針を批判している。過度に規制(ネットワークのオープン化)をかけることで通信事業者が投資しない状況に陥っていると言うのである。

Wall Street Journal誌によれば、中立性支持者はこの「中立性ルールの破棄」はインターネットの自由の終わりを意味し、ユーザーはより多くの時間とお金をかけることになり、通信事業者にとってはコンテンツを早く見られるものと、時間がかかるものに切り分けることが自由にできるようになると警告している。

これに対し、FCC委員長のAjit Pai氏は、ユーザーを害するような事業者は、今後も罰することが出来るため心配ないと述べている。また、「中立性」のルールを破棄することによって通信事業者は提供するサービスを改変することができ、ユーザーはより多くの選択肢をより安い価格で提供されるため、ブロードバンド経済はその投資も含めて再活性化すると述べている。
しかし、実際はこの両者の間のどこかに落ち着くことになるだろうと、同誌は考えているようだ。

オバマ政権時代の「中立性」も実は経済重視のルールであり、「中立性」の支持者が求めている「表現の自由」等には触れていなかった。(実質的には「表現の自由」も保護しているが)その観点からみれば今回の「中立性」破棄の目的も例示として同じようなことがあげられているため、果たして実質的にどれほどの差が出るのだろうか、と私自身も考えており近い将来出てくるサービス等に対してFCCがどのような判断を下すのかを注視する必要があると思う。

その他、インターネットの父とも言われているVint Cerf氏を始め、アマゾンやFacebook等のコンテンツ事業者もこぞって、パケットの差別的取り扱いを可能にするこの「中立性ルールの破棄」に対して非難の声明や、場合によっては告訴する準備がある旨を発表しており、今後この件で米国の通信業界が混乱する可能性は非常に大きい。

米国以外の国々での「中立性」

米国では、中立性そのものは政治的な理由等で変動するもののように思われるが、南米やヨーロッパ、またインドにおいては「ネットワークの中立性」に関する法律や規則が存在し、中立性を侵害するようなサービスを行うことは出来ない国が多い。

2015年10月、インドプロバイダー協会の方とお会いした際に次のような話を伺った。
「Facebookの始めたゼロレーティングサービスで、Facebookとその関連サイトを閲覧するパケット代が無料になったことはいいのだが、それ以外のサイトを見るためのパケット代が10倍になって大変なことになっている」と嘆いておられた。
2015年2月リライアンスコミュニケーションズと提携して無料電話を開始したサービスだ。しかし、翌年インド電気通信規制庁が規則を修正しこのFacebook電話サービスを違法として排除した。

これについて、The Executive Director of the Centre for Communication GovernanceでありAssistant Professor of Law at National Law UniversityでもあるChinmayi Arun氏にお目にかかり、この件についてお話をお伺いしたところ、彼女曰く「利用の公平性を大きく欠く上、インド憲法に抵触する可能性もある」と話された。その後、2017年1月インド電気通信規制庁はコンサルティングペーパーを発表している。

Facebook電話のサービス廃止を求める人々(International Business Times誌サイトより)http://www.ibtimes.com/facebook-free-basics-internet-service-banned-india-net-neutrality-concerns-2298469

これより前の2014年にはチリにおいてFacebook電話は違法判決が確定してサービス提供できない。チリは2010年7月13日ネット中立性原則を定めた電気通信法の改正案を可決し、8月26日同法施行して世界初の「ネットワークの中立性」を法制化した国である。

また、お隣のブラジルでも2014年、スノーデン事件の影響もあり「オープンインターネットルール」を記した法案は議会を通過した。当時のルゼフ大統領は、サンパウロで開催されていた、Net Mudialというインターネットガバナンスに関する国際会議のオープニングセレモニーで、これに署名するというパフォーマンスまで行った。このブラジルの法律は、”guaranteeing equal access to the Internet and protecting the privacy of its users in the wake of U.S. spying revelations“ としている。

EU圏では、2011年6月22日オランダ下院は中立性法案を承認。The Body of European Regulators for Electronic Communications (BEREC)が、「中立性」に関するガイドラインを2016年に制定し、各国がその国の法律に基づいて「ネットワークの中立性」に関する法律や規則を導入するよう促している。
2016年ノルウェーはこれに基づいて「ネットワークの中立性」に関する規則を導入した。このように多くの国で中立性を侵害する様なサービスは提供できない。

では、ゼロレーティングを受け入れた国はどうか。インドネシアやフィリピン、ナイジェリア、メキシコなどはどうなっているのか。
様々なレポートが出てきているが、Quartz Mediaの資料では、「Facebookユーザーはインターネットを使っているという意識がない」という内容で、利用者調査の結果を発表している。
詳細は次のURLを参照して頂きたい。
https://qz.com/333313/milliions-of-facebook-users-have-no-idea-theyre-using-the-internet/

Facebook電話のユーザーには、インターネットを利用している感覚は無く、また、Facebookの方がインターネットより大きなものだと考えているユーザーが、国によっては半数を超えており、こういったサービス提供の在り方が正しいのか我々も熟慮していく必要があるのではないだろうか。

インターネットを普通に使っており、Facebookはその中の一サービスであると認識している我々に取っては信じがたい調査結果である。

我が国について

日本には「ネットワークの中立性」に関する直接的な法律は存在しない。
しかし、電気通信事業法4条(秘密の保護)「電気通信事業者は、電気通信役務の提供について、不当な差別的取扱いをしてはならない」及び電気通信事業法6条(利用の公平)「電気通信事業者は、電気通信役務の提供について、不当な差別的取扱いをしてはならない」という法律の他、憲法を始め多くの関係する法律が間接的に中立性を保護する方向で働いてきたと思われる。
(トランプ政権下のFCCアドバイザーに入ったRoslyn Rayton教授も、日本は特に「中立性」に関する法律がないにも関わらずうまくやっている国だと認識しており今後も注目していくとおっしゃっていた)

また、明確に禁止する法律がないだけでなく、中立性を侵害すると思われるようなサービスも存在していなかったように思う。

しかし、ここ数年で状況は変わり始めている。今現在、「ゼロレーティング」そのものに該当するサービスはないと認識しているが、類似のサービスは既に数多く提供されている。
例えばLINEモバイルの提供するサービスがその典型的な一例である。毎月一定額で携帯キャリアのデータ量制限に関係なく、LINEを利用することが出来る。

過去を振り返ると我が国では、2006年には総務省において「ネットワークの中立性に関する懇談会」が開催され、「フリーライダー論」※2等が議論された。
私も地方ISPの立場で意見を発表させて頂いた。私の記憶では、当時具体的かつ大きな問題として取り沙汰されていた事例が多くはなかったこと、また「フリーライダー論」についても当時はインフラコストが年々下がっていたため、殊更この件について主張する事業者もいなかったことなどから国民的な議論になったり社会的な問題になるようなことは無かった。

ただ、当時大問題になっていたのは、WinnyをはじめとするP2Pである。数パーセントの利用者のP2Pトラフィックが帯域の大半を占めてしまうということで対策が望まれた。
そこで、帯域制限を行う事業者が増えたのだが、事業者によっては利用規約や約款に不備があったり、その制限手法に問題があった。
そのため、先の法律に抵触することなく過度な帯域制限が行われないよう、「帯域制御の運用基準に関するガイドライン」を策定し、帯域制御を行う際に必要な約款等の整備や、適正な範囲や手法を示した。

しかし、ここ5、6年トラフィックは毎年1.5倍程度ずつ増加し、「中立性の懇談会」が開かれていた2006、2007年頃と比較すると、20倍近くに激増している。
Youtube等のストリーミング系トラフィックが大幅に伸び、その上、OSのアップデート等も頻繁に行われ始めたことから、この傾向はしばらく収まるとは思えない。
となるとネットワークのコスト負担に関する問題も前回よりは大きな問題として浮上する、と2017年3月より総務省にて開催されているNGNの「接続料の算定に関する研究会」※3では、まさに網終端装置での輻輳問題が大きな論点の一つとして議論されている。

これらのことを考慮すると、日本においても今一度「ネットワークの中立性」について、考えるべき時期が来ているのではないだろうか。

一概に「ネットワークの中立性」といっても、ネットワークのコスト負担の問題、優先制御やゼロレーティングの問題、またネットワーク分断の問題など多岐にわたるため一言で言い表すことは非常に難しいが、ユーザーが円滑にインターネットを利用できる環境を維持するためには、避けて通れない問題であり、本格的な議論を始める必要があると思われる。

最後に

米国のネットワークの中立性について書くようご依頼頂いたが、内容が他国にまで渡ってしまった。
ただ、IGF※4等でこの話題を追っていると米国だけを見ているのは非常に危険で、必ずしも米国が他国の見本とされていることはないと感じる。
米国においては、民主党にしろ共和党にしろ、産業界の要請を重要視した形で結論づけている。よって玉虫色でどちらにでも解釈できる内容になっていると感じられる。
しかし、一般的には「表現の自由」についても非常に高い関心があるようで、これらへの配慮が今後どのように働くのか。トランプ政権は全てにおいて経済重視の政策をとっているため、儲かるのであれば「表現の自由」など二の次になるような政策も出てくる可能性はある。

FCCは議長が代わって中立性についてもこれまでの路線とは違う方向へ舵を切ったように見えるが、具体的な裁定等が出ていないため、今後の動向に注目する必要がある。
特に自由主義を掲げる米国においてどのような結論になり、それが国民にどのような影響を与えるのか。
ただ、通信の秘密に関する規制がなく通信事業が垂直統合されている米国とそうではない日本を単純比較するわけにはいかないが。

私自身は原則「中立性」を維持するべきだと考えている。
例えば大金持ちがネットワークの全ての帯域を買い取り、自分の通信を優先するようなサービス展開がされたらどうなるだろうか。
「表現の自由」も民主主義もあったものではないと考えている。
ただし、米国ではないが大原則だけで全てを簡単に判断できるわけでもないと考えており、人類が開けてしまったパンドラの箱の一つだと考えている。

2018年、この「ネットワークの中立性」を争点の一つとして中間選挙のキャンペーンに望むようである。

 

※1:TPPが制定された場合、著作権の非親告罪化で日本の「通信の秘密」にも影響が出かねないことや、米国の司法当局からの依頼で通信ログの取り扱いが面倒になる可能性があったことすら殆ど知られていない。

※2:「フリーライダー」と言う言葉を最近は聞かなくなったが、いわゆるOTTがトラフィックを生んでいるにもかかわらず「コスト負担をしていない」という事を当時は良くこう言っていた。

※3:総務省「接続料の算定に関する研究会」
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/access-charge_calculation/index.html

※4:IGF Internet Governance Forumで国連が毎年開催している、マルチステークホルダーかつ拘束無く結論を出さない前提が開催されている会議。日本においてもJapan IGFという形で活動しており、JAIPAは年次報告会等を毎年開催している。


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